「ゼロリスク思考」という言葉を一度は聞いたことがありますでしょうか?理系っぽさ溢れるこの言葉、文系ママとしても気になっていたので一度内容を整理してみます。
調べてみるうちに、子育て・育児においてもマイナスの影響が大きいことがわかりました。社会問題を議論する際や、個人の人生においても同様にマイナスの影響をもたらす「ゼロリスク思考」。ざっくりと理解して、知らず知らずのうちにゼロリスク思考に陥ってしまうことを避けたいものです。
ゼロリスク思考とは
ゼロリスク思考とは、リスクを完全に排除することを目指す考え方。この思考では、どんな小さなリスクも容認せず、完全に安全な状態を求めます。
親としては、自分の子供に迫りくる危険を可能な限り排除したい!と誰もが考えますよね。日常生活に潜む危険の排除、感染症にかからないこと、食事や医療の安全性の確保、交通事故の回避、等々、親として気になることを挙げればキリがありません。
しかし、現実的には全てのリスクを取り除くことは難しい。完全なんて無いんです。
それどころか、リスクを完全に排除しようとすると、それが非現実的な期待を生み出したり、不安につながったりと、親も子供も不利益を被る事態につながりかねません。親側には、「育児における過度な負担の発生」、「必要以上の不安感」、子供側には「機会の損失」「過干渉による子の精神への影響」といった弊害が起こり得ます。
ゼロリスク思考の特徴
ゼロリスク思考にはどんな特徴がるのでしょう?
1. 恐怖の感情に意思決定が左右されやすい
ゼロリスク思考では、リスクを完全に排除することを目指すため、恐怖や不安が強く影響します。このため、合理的な判断よりも感情的な反応が優先されることが多いです。殊、感染症や医療の話になると、恐怖が先行しがち….。(そもそも「リスクとは何か」については後日執筆予定)
2. 全体最適よりも部分最適が優先される
ゼロリスク思考では、全体のバランスや全体最適を無視し、一部のリスクを完全に排除することに集中します。この結果、全体の利益や効率が損なわれることがあります。
3. コストと利益のバランスが無視される
ゼロリスク思考では、リスクを完全に排除するためのコストが過大になることがよくあります。リスク排除のためのコストと、それによって得られる利益のバランスが考慮されないことが多いです。たとえば、オーガニック食材や無添加食品への無限課金もこれにあてはまりそう..
4. 新たなリスクの創出
一つのリスクをゼロにしようとすることで、別の新たなリスクが発生する可能性があります。例えば、過度な消毒により免疫力が低下するなど。
5. 短期的な視点に偏りやすい
ゼロリスク思考では、長期的な視点よりも短期的なリスク排除に重きを置きます。これにより、長期的な成長や発展が阻害されることがあります。子育てにおいては本末転倒になりかねないね…
6. リスクの過大評価
ゼロリスク思考では、実際のリスクを過大評価し、過剰な対策を講じる傾向があります。これにより、リソースの無駄遣いや不必要な制約が生じます。
7. 柔軟性の欠如
ゼロリスク思考では、リスクを完全に排除することに固執するため、状況の変化や新しい情報に対する柔軟性が欠如します。これにより、適応力や対応力が低下します。
どれもこれも、マイナスの影響が大きそうなものばかり。このために良かれと思って、知らず知らずのうちに自分の選択が歪んでしまう可能性もあるな….
ゼロリスク思考の罠の身近な実例&例え
コロナ禍で世代間のリスクの違いを考慮せず採られたコロナ対策
- 本来であれば若年層と高齢者層のリスクの違いに着目し、異なる対策がとられるべきだったといわれています。世代別に異なる対策が採用されていた場合、行動制限などによる社会全体の損失はより小さく抑えられたはずですが、実際には子供たちの行動制限や学習機会の減少など、大きな影響を生み出してしまいました。
交通事故ゼロを達成するために、車の利用を全面禁止する
- 確かに車による交通事故はゼロになるでしょう。しかしながら、移動手段が大きく制限されることによるQOLの低下や社会全体の利便性の低下、経済活動の著しい制限に繋がります。社会全体の幸福度は大きく低下するでしょう。GDPにまで影響を与え、”交通事故では死なないけれど極めて貧しい非文明社会”の出来上がりです。「車による交通事故ゼロ」さえ達成されれば良い訳ではないことが、よく分かります。全体最適に部分最適が勝ってしまう一例と言えるでしょう。
会社などの組織改革における、特定部署の抵抗
- あなたが勤める会社の改革として、社長が「ある改善策」を提案したとしましょう。しかしその「ある改善策」を実施する特定部署にとっては負担が大きいとします。そしてその特定部署は、試作自体に反対しています。会社全体の最適化のためには「ある改善策」は必須であるにもかかわらず、個々の痛みを避けたい特定部署の部分最適化思考が強すぎると、一部の人間の反対に遭い、全体最適が達成されなくなります。これは、全体最適(会社全体の利益)を無視し、部分最適(特定部署の利益)を追求する、ゼロリスク思考の一例と言えます。
子育てで起きがちな、ゼロリスク思考による弊害
電子機器の完全排除:
- 目の健康やインターネットの危険性を考慮して、テレビ、タブレット、スマートフォンなどの電子機器を一切使用させないことです。これにより、適度な情報収集や学習の機会、これからの時代に必要不可欠なデジタル全般への理解を深める機会を失う可能性があります。インターネットや電子機器を完全に排除するより、どう付き合うかを考えるほうが賢明な気がしますね。
- 我が家も、休日限定でOKしている動画視聴について、いっそのこと禁止してしまうか何度も検討していますが、物語を通じて養われる感性、語彙力や感受性へのプラスの影響、動画視聴により子供が得ている知識などを考えると、やはり全面禁止の選択肢は消えました。
全ての食物アレルゲンの排除:
- アレルギーを心配して、すべての潜在的なアレルゲンを避けるために、子供に非常に制限された食事を与えることです。これにより、栄養のバランスが崩れたり、食物アレルギーに対する耐性がつかない場合があります。
- 全ての添加物や添加物、農薬を排除しようとする「徹底した無添加の追求」、「極端なオーガニック思想」も同様でしょう。この場合、子供の栄養バランスが崩れるというよりは、親側の「過度な負担」「過度な不安感」といった弊害が大きい気がします。食品添加物や農薬をどの程度気にすべきかについては、後日検討してみます。
外遊びの完全な禁止:
- 子供が怪我をするリスクを避けるために、外での遊びを完全に禁止することです。これにより、子供の運動不足や自然との触れ合いが減少し、社会性の発達にも影響を与える可能性があります。そんな極端なことをする親はいないと思いますよね?ゼロリスク思考のバカバカしさが、この事例からわかります。
ワクチンの排除:
- ワクチンの後に具合が悪くなる、ワクチンが悪さをして副反応に苦しむ、という部分的なリスクを排除するために、ワクチン接種を避けてしまった場合。より大きなリスク=疾病に罹患して命を落とす、という結果を招きかねません。ワクチンの効果については複数のメタ分析により支持されていますし、WHOもお墨付きですので疑う余地はないでしょう。しかしながら、少しの副反応にも不安になるのが親心。副反応という特定のリスクを排除することではなく、もっと大きな視点(病気によって重篤な症状になる状況を避ける)で子の健康について考えられるようになるとよいですよね。
まとめ
以上のようにゼロリスク思考は、特定のリスクに注目させ、恐怖を煽り、我々親たちの思考と意思決定を歪めまくるという悪さをするようです。偏った完璧主義的な考え方ともいえそうですね。
上記に一例は示したものの、普段から気を付けていないと知らず知らずのうちにわが子にとって有害な親になってしまいそう。。
そんなわけで、次の記事では、ゼロリスク思考の対策について考えてみようと思います!
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